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なんでも特集 8 「X島」の葬式を生中継!!

8月25日に、父方の祖父が亡くなりました。
それによりしばらくネット環境を離れたことで、ここ数日間は更新ができませんでしたが、実際は書きたいことだらけですので、「なんでも特集」として報告します。9月13日に書いていますので、記憶のあいまいなところもありますが……。

◆8月25日(火)

夕方、16時50分からの「熱血テレビ」を見ていました。秋に下関で「しものせき海峡マラソン」というマラソンがありますが、昨年度は山口放送から福谷貞夫さんが出場されたそうなんですね。で、今年は別の人が出場します~~という話が冒頭の放送内容だったのですが、そこまでで、ハッ!!とわかりました。(笑)まさに、9年間陸上部で、フルマラソンの経験もある大河原あゆみさんの出番です!!思えば、去年のKRY秋まつりで「来年度の新人」として自己紹介をされたときも、フルマラソンを完走しても平気だと言っておられました。ということで、冒頭から大河原さんづくしで大満足だったのですが(笑)そんな矢先、祖父の入院する病院から電話が。まぁ、「状況がよろしくない」という話になったことは、高3の4月・大学1年の6月・大学1年の2月、と何度もあり、このたびも1週間くらいはそういう話が続いていたのでそこまで驚くこともなく、でも急いで出る準備(戸締りとか……)をし、母と病院に行きました。ちなみに、準備の間中テレビはついたままで、無事、大河原さんのコーナーは最後まで見ることができました。そんなことを言っている場合ではないのですが。(笑)

で、病院に着いてみたら、病室(6人部屋です)の中で祖父のベッドだけカーテンが閉められ、看護婦さんもそばにいて、あぁいつもとは違うな……とわかりました。この少し前、14日に同様の知らせで僕が駆け付けた時には、かなり緊急の事態だとのことだったのに何ら特別なことはなくほったらかしだったので……。

そして、母と僕に看守られ、17時23分(たしか……)に息を引き取りました。妻(祖母)は本土ではなく離島で暮らしており、高齢でもあるため、つきっきりになるようなことはできず。子供(父・おじ・おば)は全員県外で生活しており、これまた立ち会えず。結局、居合わせた親族は嫁(母)と孫(僕)だけで、何となく気の毒な気もしましたが、僕に関しては、高3の時に亡くなった母方の祖父を数十分の差で看取り損ねたので、今度はちゃんとできてよかったなと思いました。(それもこれも大学の夏休み中のたまたま萩にいる時期だったからで、やっぱり、祖父が望んでそうしたのかもしれません)(笑)

(※)ここでは、「本土」を「離島」の対義語として使います。「生まれ育った地」という意味で使うなら「離島」=「本土」となりますが、そうではなく、「離島」←→「本土」ということです。

で、葬式は離島で行いますが、夕方で船の便がないため、とりあえず本土の葬式屋さんに遺体を安置しました。そこまでの霊柩車には僕が同乗したのですが、病院の先生や看護婦さんたちが一列に並んで頭を下げて見送っておられるのを生きている僕が霊柩車の中から見るというのは何とも不思議なことでした。ちなみに、母方の祖父が亡くなった時にも病院から自宅への霊柩車に同乗したため、弱冠20歳にして、霊柩車に2度も乗ったことになります。(笑)

葬式屋さんのお座敷に祖父を横たえて、母と葬式の説明を受けたり、知らせを聞いてやってきた親戚(祖父の姪だそうです)を母が送る間の留守番をしたり、施設の風呂に入ったり(お座敷の隣に、ちょっとしたホテルのような部屋があって、ユニットバスがある)して23時30分ごろまで過ごしていました。ちなみに、特に留守番の間などは1人ですることがなく、ためしにテレビなんぞつけてみたりしたわけですが、つきませんでした!!これは、あんたテレビを見ているどころじゃないだろうという葬式屋さんからのメッセージか!?(笑)

で、23時30分ごろには福岡からおじがやってきて、24時ごろには愛知から父もやってきて、葬式屋さんのおじさんも戻ってきました。(そのおじさん、「私も寝ないといけませんから」ということでおじや父がそろうまでは家に帰っていたんですが、葬式屋に「私も寝ないといけませんから」もへったくれもなかろうがという気がするのですが。とぼけたことをぬかすなよと)

このあと、葬式についての説明を本格的に受けて、母と僕は25時ごろ帰宅しました。長い1日でした。

◆8月26日(水)

朝の船で祖父が島に帰ります。今までブログでこの島について書く場合、名前を「X島」にしてきた、あの島です。(笑)

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霊柩車で港へ。病院から乗ってきたのもこれでしたが、最初に見た時、気が抜けました。気分的なものに過ぎませんが、もうちょっとええ車を使ってやれよと。死んで乗せられるのが軽のバンなんて、たまったものじゃありません。何かとビックリさせられることの多い葬式屋さんです。(笑)母方の祖父の時は、別の会社で、病院から自宅までがエスティマ、自宅から火葬場までがクラウンでした。

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海は穏やかでした。確か祖父は5年くらい本土の病院に入院していたので、家に帰るのはかなり久しぶりのことになります。きっと嬉しかったことでしょう。

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僕も久しぶり(昨年の5月以来)でした。で、祖父の棺を家のお座敷に置いて、無事に帰宅を果たしたわけですが、祖母が棺に泣きすがっていたり、家に集まっていた島の人たちにおじが「無事に帰って来れました……。顔を見てやってください」と涙ながらに言っていたりするのを見て、僕も泣いていました。昔から、祖父とは、本土と離島ということでたびたび会っていたわけではなかったし、小さいころも「ひざに乗って本を読んでもらった記憶」とか「竹とんぼの遊び方を教えてもらった記憶」とか「プラレールやトミカを買ってもらった記憶」などはありません。こういった役割は、母方の祖父が担っていたように思います。ただ、お正月やゴールデンウィークなどのたびに旅行に連れて行ってくれたのはこの祖父に他ならず、僕の希望通り白いソニックのグリーン車やレールスターのコンパートメントで別府に行ったことは今でもよく覚えています。(中2の時でした)思えば、旅行をする楽しさは祖父から教えてもらったのかもしれません。そんなわけで、もちろん悲しいのですが、それにしてもまぁ僕はよく泣く男だなぁと思いました。(笑)

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家の様子です。こうして見るとすごく立派な家に見えます。(笑)

で、葬式はすべて島の風習に沿って行われるのですが、そのひとつに、拝みに来た人たちにいちいち料理やお酒を出してもてなすというものがあるようです。なので、島の見知らぬ女性たちが台所などに大勢いて、僕はこの家の孫なのですが、なんとなく「あっどうもすみませ~~ん」みたいな感じでした。(笑)

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どこからか長机もたくさん調達されて、どこの旅館かと思うほど料理がたくさんできていました。

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ビールやジュースもたくさん用意されていて、たくさん出しているはずなのにいつ見ても減っていなくて(つまり絶えず供給されている)、それこそ僕はこの家の孫なのでのどが乾けば飲んでもいいわけで、エンドレスのドリンクバー状態でした。(笑)

それにしても、ビールケースが5個(100本)、お酒が数本、缶に関しては数えられないくらいそろっていましたが、祖父の葬式のおかげでこの島の経済は相当潤っただろうなぁと思います。

で、普通なら今日がお通夜、明日が葬式となるのですが、明日は友引なので葬式ができません。明後日の夜です。それまでけっこうヒマで、涼しくなったら夕涼みがてらその辺をうろうろしていたりもしたのですが、(笑)昼間も時間を持て余していたところ、知らないおじさんから「兄ちゃん、ワシの弟子になれ!!」と言われ、

変換 ~ DSC01294

厚紙に切り抜いた、我が家の家紋を渡されました。(奥に座っているのが「師匠」です)(笑)おじさん、ようこんな器用なもんを作ったなぁ、と思わず感じたのですが、僕はそれを

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大きな銀の色紙の裏に当てて縁取りをし、それに沿ってカッターで切りぬきました。

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こうなります。それを

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赤い紙にペタッと貼って、

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もともと用意してあったものに張り付けて、こんなのができました。キンキラキンのあれ、クリスマス飾りか七夕飾りみたいで笑いが出るのですが、れっきとした葬式グッズです。(笑)あと、奥に置いてあるひもがついた直角三角形の白い紙も僕が作ったのですが、あれは、葬式の時、故人と血の濃かった5名がバンダナのように頭に巻くんです。おでこのところには「可」と書いてあって、キン肉マンみたいでそれこそ笑いが出るのですが……。葬式のやり方といってもいろいろあるんですね。人生いろいろ、葬式もいろいろ、です。

このあと、もう少し小さめの家紋の型紙を厚紙に起こし、同じように紙にあててカッターで切りぬき、ミニ家紋(?)を作りました。

変換 ~ DSC01304

このように使われました。

ちなみに、僕はこの師匠に「広島大学」というあだ名(?)を付けられました。「ちょっと、広島大学!!」などと呼ばれて、大学のいいPRになったかと思います。(笑)

ところで、この島には「お通夜」はないみたいです。夜になったらお経をあげには来るのですが、正装でいる必要はありません。その点楽です。ちなみに、今日お経をあげたのは坊さんではなく、普通のおじさんでした。(笑)

◆8月27日(木)

相変わらずヒマです。本土からの定期便が1日に3本やってきて、そのたびに生花が届いたり親戚が来たりするので、ここぞとばかり船の時間には港に行きました。(笑)

変換 ~ DSC01314

港の待合室には、KRYの高橋裕さんのサインがありました。僕も持っていますが。(笑)

変換 ~ DSC01321

生花が到着です。あと、15年近く会っていなかったいとこが2人やってきました。僕の1.5~2倍くらいの年で、さすがにそんなに離れているとこれといって話もないし、あぁこんな人がおったんか~~という感じなのですが、この2人が、翌日には一躍「時の人」になります。(笑)

他にも、僕より5歳年上のいとこもやってきて、この人とは7年ぶりでした。僕が中1のころ、一緒にプリクラを撮ったことがあります。(笑)で、それから7年経てばすごく変わっているわけで、僕が大きくなったことにすごく驚かれました。

で、夜になったら本土のお寺から坊さんが来てお経をあげました。いつもお世話になっている島の坊さんは、今、京都に修行に行っていて不在なのだそうです。(理由がおもしろすぎる!!)(笑)ということで同じ周派の坊さんを本土から招へいしたわけですが、この人、足が悪いから、イスをよこせとのたもうた!!坊さんに「足が悪いからイスに座る」という行為が許されるんかいなと、これも霊柩車のことと同じで気持ちの問題に過ぎませんし、僕だってお経をあげている間中ずっと正座をしていたかと問われればNOなので偉そうなことは言えませんが、坊さんなら、足が悪くなったら現役を引退するくらいの覚悟でやらんかい、イスをよこせなんてバカなことをのたまうな、と、何となく腹が立ちました。(笑)ちなみに、父は周りの人に「島の坊さんは東京に修行に行って不在」と説明していましたが、坊さんの修行で東京というのはあまりないんじゃないかと思います。(笑)

あと、僕の中では「お経は黙って聞くもの」という概念があったのですが、うちの宗派の決まりなのか、島の習慣なのか、みんなで一緒に読むんですね。で、「♪な~むあ~みだ~ぶな~むあ~みだ~ぶ……」と、狭い音域ながらメロディーやリズムがあって、それをみんなで読むというのは何か不思議な感じがしました。

この日、普段は祖母が1人暮らしをしている家に12名もの親族(うちとおじとおばの家族)が集まりました。

◆8月28日(金)

7時に坊さんがお経をあげに来るので、5時には起きました。で、おじの携帯のアラームで目が覚めたのですが、その曲が何と「千の風になって」でした!!普段からその音で起きているのか、今回空気を読んで設定したのかは分かりませんが、その選曲には感激しました。何かの時にはマネさせてもらおう、メモメモ……。(笑)

で、お経をあげて、棺の中に花をたくさん入れて、ついに出棺です。思えば、葬式に必要な道具などを本土の葬式屋さんから送ってもらうだけで、あとはすべて親族と島の人たちの共同作業によって準備された(現に、僕はキラキラの家紋を作ったわけですし)葬式ですが、ついに本番がやってきます。(笑)ちなみに、火葬場までの足は、島の旅館のバス(ワゴン車)がその役割を務めます。これも「共同作業」のうちで、旅館のバス以外にも、常に家の前に軽トラとか軽のバンがキーをつけっぱなしで置かれていて、必要な時(港に生花を取りに行くなど)特に誰に許可を得ることもなくうちの親族が使わせてもらいました。こんなこと、都会はもちろん、萩市の本土でだってないことだろうなぁと思います。島の人たちの優しさに触れた数日間でした。

話が飛びましたが(笑)霊柩車を筆頭に、旅館のバスが続き、祖父の棺が火葬場へと出発しました。霊柩車といっても小さな島にそんな車があるわけがなく、普通の軽のバンなのですが(この島でならそれでいいけど、葬式屋さんの霊柩車が軽のバンじゃ困ります)、ハンドルを握っていたおじは、ちゃんと、初めにクラクションを長く鳴らしていました。葬式屋じゃあるまいし、僕だったら絶対にそんなことは思いつかないと思います……。あの音があるかないかで、場の雰囲気がかなり違ってくると思います。「千の風になって」の選曲といい、ちゃんとクラクションを鳴らしていたことといい、おじには脱帽です……。

普段おじの車に乗るとえらく飛ばすなぁという印象を受けるのですが、このときはゆっくりゆっくり、火葬場へと走っていきました。

で、火葬場に着き、棺が機械にセットされ、扉が閉められました。本土の火葬場だと扉のそばに「点火」か何かのスイッチがあって、それを身内が押す時の本人(押す人)の心境を考えるに、これまた(霊柩車のクラクションと同じで)悲しみが増してくるのですが、ここでは特にそういう儀式はないようで、扉が閉められると同時に点火される(か、裏で係員が点火する)ようになっているみたいです。心の準備をする暇がなくてあっけらかんとしたのですが、父の

「父ちゃん、ありがとう!ありがとうな!」

が、僕の涙腺を刺激しました。

で、焼けあがる(何かおかしいな……)まで、それを待つ親族や知人がワッと飲食をするのもまたこの島のならわしのようで、前もって準備してあったビールやジュース、サンドイッチ・おにぎり・お菓子などを食べました。さっきまで泣いていたのに今度はワッと飲み食いをするって、相当速やかな気持ちの切り替えが求められます。(笑)

そして、骨を骨つぼに収めて、いったん家へ。11時になったら、前もって用意した「可」と書かれた三角の紙を血の濃かった人が付けて(僕は付けていない)、丸い金を「カーン、カーン」と鳴らしながら1列でお寺まで行きました。で、お寺で座布団に正座をして葬式がありました。冷暖房完備の葬式屋さんのホールで椅子に座って行う葬式しか経験がなかったので、疲れそうだな……と思ったのですが、あまり暑くなかったこともあり、大丈夫でした。(笑)あと、弔電の披露がありましたが、萩市長からも届いていました。祖父は教育・福祉関係に大きな功績を残していたようで、それつながりです。ちなみに、萩市長は母方の祖父の教え子で、母方の祖父の葬式の時にも弔電を送ってくださったのですが、今回の送り主が「萩市長」なのに対し、あの時は「(市長本人の名前)」でした。どちらも名誉なことだと思います。両方の祖父の葬式に、市長さんからの弔電が届くなんて……。

で、葬式が終わったら、僕は島を出る親戚を送りに港まで行っていたのですが、それを終えて家に帰ってみると、何と!!

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お座敷の畳が抜けていました!!

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(普段ならこんな感じです)

こりゃもうかなりビックリしたのですが、話を聞いてみるに、例の、15年ぶりくらいに会った2人のいとこ、この2人というのが相当太めの体格をしているのですが、その1人がお座敷に座っていて、もう1人が腰を下ろしたとたん、畳が抜けたそうなんですね。で、一緒に座っていた何人かが巻き添えを食らって転落したそうです。まさに、さぁ今から所度法事を始めましょう……というタイミングの出来事だったそうです。このアクシデントにより急きょ大工さんがやってきて復旧の作業をすることになりましたが、畳が抜けた時にその場に居合わせなかったことが悔しくてなりません!!(笑)畳が抜ける現場を生で見ていた父などは、この後の所度法事のとき、そのシーンを思い出して笑いそうで困ったそうです。ともかく、坊さんと大工さんが同じ時間に同じ場所を共有しているという図は、そうそう見られるものじゃないと思いますね。このアクシデントは次の日になっても大笑いで語り継がれ、「犯人」となったいとこは父から「お前はA級戦犯じゃ!!」と言われていました。(笑)あと、「もしあのときビデオカメラが回っとったら、絶対ビデオ大賞が取れたぞ!!」とか言ってみんなで大笑いしていました。祖父も天国から大笑いしていたと思います、これはホントに。(笑)

で、とりあえず復旧させて、所度法事があって、そのあとに数時間前に抜けたばかりの畳の上に長机を並べて昼ごはんになりました。(笑)知らない人がたくさんいて、時々ビールをつがれそうになったのですが、そのつど「すみません、ビールは飲めんので!!」と断るのは我ながらちょっと付き合いが悪いなぁという気がしたので、やっぱりビールは飲めた方がいいのかなと思いました。ビールは飲めないし、そのくせ、運転免許も持っていないので港からの生花などを運ぶ車の運転士もできないしで、かなり使い勝手の悪い男だったと思います。(笑)

◆8月29日(土)

朝、父・おじ・いとこたちと、観音様に拝みに行きました。足は相変わらず旅館のバスです。

変換 ~ DSC01345

ここは、日本3大ナントカ(隠しているのではなく、忘れたんです)(笑)のひとつだそうです。景色がとてもきれいで、デジカメでばしばし写真を撮っていたら、「師匠」のおじさんに「そこを登ったらもっときれい」と言われて「そこ」を登って行った結果が上の写真なのですが、足もとがあまりよろしくなく、もし転んだりしたら下手をすると海にまっさかさまにもなりかねず、相当神経を使いました。祖父も、自分が亡くなって数日後に、観音様から海に落ちて孫が自分のそばにやってくることはいくらなんでも望んでいないだろうし……。(笑)

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観音様のお座敷からの景色です。これは感動モノでした。祖父が亡くなったことで8月19日から28日にかけて予定していた旅行はすべてキャンセルしましたが、もし予定通りに旅行をしていれば、五能線の「リゾートしらかみ」日本最北端の宗谷岬などから、美しい海を見ただろうと思います。でも、ひょっとすると、ここでこうして眺める海の方がもっときれいなのかもしれないなと、心からそう思いました。

変換 ~ DSC01354

いとこに言われて気づいたのですが、大きなクラゲがいました。

で、この日の朝の船便で、いとこを含めた親戚の何名かが帰って行きました。例の「A級戦犯」の2人もそうで、祖母は「あれが船に乗ったら傾く」と言っていました。(笑)僕は父と港に見送りに行って、テープをあっちとこっちで持ってお別れしました。(これがまた、この島でならすごく絵になる!!)

そして、その次の便で僕と母も帰りました。この数日間、大いに泣き、大いに笑い、何かGReeeeNの「愛唄」の歌詞にそういうフレーズがあるなぁと思ったのですが、(笑)島の昔からの葬式に触れて、たくさんの人と話をして、久しぶりにおじ・おば・いとこたちとも長く一緒に過ごして、とても楽しかったです。これこそ葬式の醍醐味(?)だと思います。

あと、島で数日間過ごしてみて、軽トラ・軽のバン・ネコの多さにすごく驚いたんですね。ネコは、祖母の家の周りに住み着いていると思われるものが2匹いて、目つきはあまりよくなく近づいたら逃げるので島の人たちはそんなにネコに意地悪なのかと思ったのですが(笑)、カメラを向けたらちゃんとこっちを向いてくれるのがおもしろかったです。

例えば、

変換 ~ DSC01313

こうだったのが

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こうなったり、

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こうだったのが

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こうなったり、

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こうだったのが

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こうなったり。(これは、僕が起こしてしまったのですが……。)

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変換 ~ DSC01330

変換 ~ DSC01310

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かわいげはないのですが、なんとなく憎めない、そんなヤツらでした。

あと、文中に「8月19日から28日まで予定していた旅行」について触れましたが、本当はこんな旅行を計画していました。(ここで書くと祖父への恨み節のようになってしまいますが、そんなつもりはありません)

以下、wordに作成していた予定表をコピペするとともに、ところどころ【  】で加筆をし、指定席券の写真とともに紹介します。

●1日目 8月19日(水)
八本松  7:10 → 岡 山  9:29
岡 山 10:14 → 相 生 11:21
相 生 11:22 → 大 阪 12:43
大 阪 15:00 → 米 原 16:21
米 原 16:30 → 大 垣 17:04
大 垣 17:09 → 名古屋 17:40

●2日目 8月20日(木)
名古屋  6:52 → 豊 橋  7:46 ホームライナー豊橋2
豊 橋  8:12 → 天竜峡 11:58
天竜峡 13:02 → 岡 谷 16:00
岡 谷 16:25 → 小淵沢 17:05
小淵沢 17:12 → 甲 府 17:51
甲 府 18:08 → 高 尾 19:38
高 尾 19:42 → 新 宿 20:25 中央ライナー6
新 宿 23:10 →           ムーンライトえちご

変換 ~ DSC01121

●3日目 8月21日(金)
          → 新 潟  4:51
新 潟  5:00 → 吉 田  5:54
吉 田  5:56 → 出雲崎  6:29
♪あなた追って出雲崎 の出雲崎です】
出雲崎  7:04 → 吉 田  7:41
吉 田  7:50 → 新 潟  8:42
新 潟 10:15 → 酒 田 12:51 きらきらうえつ

変換 ~ DSC01122

酒 田 14:00 → 新 庄 14:51
新 庄 14:56 → 仙 台 17:37 リゾートみのり

変換 ~ DSC01123

●4日目 8月22日(土)
仙 台  6:44 → 小牛田  7:28
小牛田  7:40 → 一ノ関  8:30
一ノ関  9:00 → 北 上  9:41
北 上 10:40 → 横 手 11:55
横 手 12:13 → 秋 田 13:23
秋 田 14:10 → 青 森 19:32 リゾートしらかみ5

変換 ~ DSC01124

●5日目 8月23日(日)
青 森  9:25 → 大 湊 10:58
大 湊 15:50 → 八 戸 17:31 きらきらみちのく下北

変換 ~ DSC01125

八 戸 18:20 → 青 森 19:54
青 森 22:42 →           はまなす

●6日目 8月24日(月)
          → 札 幌  6:07
札 幌  6:58 → 滝 川  8:39
滝 川  9:20 → 深 川  9:33 スーパー宗谷1
深 川 10:07 → 旭 川 10:40
旭 川 11:15 → 名 寄 12:35
名 寄 12:38 → 稚 内 16:39

●7日目 8月25日(火)
【バスで、日本最北端の地、宗谷岬へ!!】
稚 内 10:58 → 名 寄 14:13
名 寄 14:37 → 旭 川 16:03
旭 川 16:09 → 岩見沢 17:52
岩見沢 18:05 → 札 幌 18:42

●8日目 8月26日(水)
札 幌  6:02 → 旭 川  9:11
旭 川 10:03 → 富良野 11:37 富良野・美瑛ノロッコ号

変換 ~ DSC01126

富良野 11:40 → 滝 川 12:35
滝 川 12:48 → 岩見沢 13:44
岩見沢 14:05 → 札 幌 14:42
【北海道大学総合博物館を見学】
札 幌 22:00 →           はまなす

●9日目 8月27日(木)
          → 青 森  5:39
青 森  6:10 → 八 戸  8:16
八 戸  8:52 → 盛 岡 10:54
盛 岡 11:06 → 一ノ関 12:35
一ノ関 12:46 → 小牛田 13:33
小牛田 13:38 → 仙 台 14:24
仙 台 14:29 → 大河原 15:03
【JR東日本にも大河原駅(ただし読みはおおがわら)があるんです!!】
大河原 15:22 → 白 石 15:36
白 石 15:49 → 福 島 16:23
福 島 16:28 → 黒 磯 18:32
黒 磯 18:38 → 宇都宮 19:27
宇都宮 19:40 → 上 野 21:12
上 野       → 東 京
東 京 23:20 →           ムーンライトながら

変換 ~ DSC01127

●10日目 8月28日(金)
          → 名古屋  5:19
名古屋  5:41 → 亀 山  7:00
亀 山  7:04 → 大河原  8:17
【大河原駅訪問は外せなかったので、ちゃんと9月7日に行ってきました(笑)
大河原  9:12 → 加 茂  9:29
加 茂  9:35 → 奈 良  9:56
奈 良 10:19 → 大 阪 11:06
大 阪 12:00 → 相 生 13:24
相 生 13:30 → 三 原 16:13
三 原 16:18 → 八本松 17:00

この日程を、1~4・10日目は「青春18きっぷ」で、5~9日目は「北海道&東日本パス」で実施するつもりでした。これをベースに、来年こそは稚内に行きます!!(雲隠れのネタばれをしてしまった)(笑)
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